昭和40年05月06日 朝の御理解



 昨夜壮年部会だった。色々話がはずんでおりました。もう皆さん帰られるのは1時でしたでしょうか。それから私共も休まして頂いたのは遅くなったわけですが、今朝おっと見が覚め、夕べまでは皆さんを送り出す時まではそうでもなかったんですけども、今朝目が覚めたらおしめりがあっておる。お土盛りが始まってから、あれは二日間はお天気がようなからんとお土が取られないそうですね。
 ですから丁度今日からはお土が取れるようになっておった。所が今朝から降ったからまた取れないだろう。お土盛りが出来ない。都合良い反対の方の意味合いにおいてですね、都合良う、ずっとあの休んでおらなければならんと言う事になっておる。2日間例えば1日降ると2日間休まんならん。まあそらなら例えば今日からできると思うたら今日また降った。また例えて言うならば2日間でけん。また今度はそれから2日が3日にまたこうである。またでけんと。ね。
 所がですね特にその、神様のご都合があっての事ですからと言う事なんですよ。話を聞きますと14、5日も続けて天気が良かりゃ、あのお土盛りは完全に済んでしまうそうです。ね。神様の天地が自由になると仰る神様がですよ、ね、そのために15日、20日と続いて、お天気が良かったと言う様な事が出来ない筈はない。そこにそのそうでない所にです、愈々神様のご都合をひとつ、ならどういうご都合かと言う事を悟らにゃいけんと。ある人の為には、本当にお湿りのおかげでと言う事になるだろう。
 ある人の為には改まらして下さる事の為のお湿りだろう。ある人の為には例えば椛目全体の事を言うたら、信心の足並みが揃うとらんから、と言った様な事かも知れません、椛目全体においては。ね。ある人の為にはお湿りのおかげでと言う事になるのである。ある人の為にはお湿りのおかげで御用ができると言った様な事にもなっておる。だから神様のご都合があっての事。
 先日(久保山・熊谷)さんのお宅の、お宅祭りの時にご承知のようにお湿りであった。あちらから3時過ぎに迎えに来て頂いたでしょうか、そん時にはもう晴れ上がってしまっておった。私はそのままお天気良かったんだと思うておった所が、私が出てからもう間もなくここが土砂降りだったそうです。久富先生が言うておられました。「本当に恐れ入ってしまうなあ、親先生が出られる時にはもうあの辺だけはもうこんなに良いお天気。からっと晴れ上がってしまっとった。
 出られたらもうすぐ瞬く間に曇ってから、お湿りだった」丁度その日は福岡のご大祭でもあった3日の日ですから。4日の日の4日かに末永さんが見えてからの話であった。「先生もう見事でした、昨日は」と。反対の意味合いで。もうお祭りが間はもう福岡の間、お祭りの間はですね土砂降りだった。そしてお祭りが済んだと思ったらもうからっと晴れ上がりましたち。
 もう見事でしたち言うてから、まあ皮肉とも何とも付かん様な事を言うておられましたね。例えば私のためにはおかげであり、福岡のためにはおかげではないと。それはどういう事かと言うとそれは私の、いや神様の天地が自由になっておって下さって有り難いのだけれど、そんなら福岡の場合にだって同じことね。言わば何かそこに分からして頂かして下さらなければならないものが有るとするならば分からなければならない。
 (久保山・熊谷)さん所のお宅祭りと言う事においてですたい、ね。(久保山・熊谷)さん所の場合には都合でおかげ頂いた。所が福岡の教会の場合はそうではなかったと。神様はですねまあ両方の為のおかげですと言う事。ですから頂き所が間違うとだから間違うんです。ね。例えば福岡の方達がです、今日の年に一遍のご大祭だというのに、しかもご大祭中は土砂降り。
 しかもお天気がああぁお祭りが済んだ途端にからっと晴れ上がったと。ね。それをただ見事だったと言うだけでは済まされん。本当にそのはずだと。ここん所をこう改まらしてもらわなければと、と言う事になる時に神様のお働きの中にはです、もう一つも無駄がないと言う事。ね。今度例えば椛目の場合でも同じ事。ある方の場合はです、ね、このお湿りが本当におかげであったと言える人もある。ある人の場合にはですどうしたこっちゃろうかと。これは神様のご都合に違いはないと。
 さあ神様が改まらんか、まだ分からんかと厳しゅう言うて御座る事もあるかも知れん。神様のなさる事に無駄がないて、卒がないと言う事。そこで神様にもご都合のあって、神様にもご都合のあってのあっての事だと言う事。だからご都合のあっての事だけでは済まされないと言う事。ある人の場合にはお礼を申し上げなければならんのであり。ある人の場合には改まらなければできんのであり、椛目例えば全体の上においてはです、足並みが揃うとらんのである。
 足並みが揃わんままに、事が運んでごらんなさい、どういう結果になるか。ね。ある人に息子さんが2人あった。一人が傘屋さんであった。一人は関屋さんであった。お母さんがお天気の日は、傘屋が難儀しよろうと。傘屋の息子が難儀しよろうと。こげんお天気ばっか続いたんじゃ、傘が売れまいと言うて心配されとる。ね。雨の日はこんな雨ばっかり降るなら関屋が困りよろうと。と言うて心配された。
 どっちにとっても心配である。まあこの話はだから、本当に実を言うたら、どっちも喜ばんならんと言う様な、例でこの話を頂くわけですねいつも。はあ今日はお湿り。本当に傘が売れよるじゃろうと。今日はお天気はあ今日はおかげで関屋が繁盛しよるに違いはないと。どちらでもお礼が申し上げなければならない事を自分を中心にして考えると、反対にお礼を申し上げねばならん時にお礼を申し上げず、ね、どっちも不平不足で過ごして。もうよかろうがよかろうで不足言う、ね。
 悪かりゃ悪かでなお不足を言うと言う様な、ではならんというではの時にこの話を頂くんですけれども、今日の場合はそれとは意味がちょっと違うようですね。うん。お湿りがあっておると、また今日はもうお土盛りが出来んだろうと、という時にですある人はお礼を申し上げる。ね。ある人は改まらにゃいかん。一人一人違うということ。ね。だから神様のご都合に違いはないという事なんですよ。ある人の場合はお礼をお湿りのおかげで、こうおかげを頂いて有り難いと言う事になっているのである。
 ある人の場合はです、本気で分かる所を分からして貰い、お詫びさして貰わなければならんのであり、または改まらして頂かなければならないのである神様の事だと。片一方にはおかげをやって、片一方には言わば片手落ちと言った様な事は決してないと言う事。ね。片一方のためには改まらして下さる事の為に。片一方には本当にあのこの人の都合の良い事の為に。ね。神様のご都合。この頃竹内先生が見えたのはいつでしたですかね、久保山先生。4、5日前だったでしょうか、ああ東京から帰られた日ですたい。
 あん時にこのこう言う様な事の進行状態の事についてから、色々話しがあったわけですが、頂いた事が、昭和の「昭」という字を頂いたね。ひとつもういわば突貫工事、恐らく突貫工事になるわけでしょうけども、突貫工事突貫工事と。もうとにかく土盛りする為にお天気のおかげを頂かな、ね。愈々ご建築がはかるために早よ金銭のおかげを頂かなん。ね。でなかったらその突貫工事が出来ないという訳なんです。
 そういう話があっておる時に私が頂いた事は、これは私はその時には皆に伏せておる、伏せておって昭和の「昭」という字を頂いたがどんな事と思うねと言うてから何人かの前で話した事だった。でも今日はこの様な御理解を頂いたから申しておるわけですけれどもね。ね。昭和の「昭」の字を崩してご覧なさい、ね「日」という字と「召」という字が書いてある。ね、お日様の「日」書いて「召」という字でしょうが。召しませの「召」です。それはどう言う事かと言うとね。
 日数を食うと言う事、日を食うと言う事です。ね。あんたどん一週間ち思いよるばってんから、神様は15日こうして隙にかかろうとしてござると言う事なのです。ね。けれども皆さんの気持ちの上にですたい、和らぎよい気持ちがあれしてはならんと思ったから、ただ私それだけ理解付けなかったんですけど、ははあこれは日にちを食うなとこう思うたです。お土盛り早速その通りでしょうが。日を食いよるわけでしょうが。日数を食いよる、これはなかなかの問題じゃと。
 日数を食いよるという意味で申しますでしょう。何故日数を食いよるかと言う事。ある人の場合はお礼を申し上げさせねばならんから、ある人の場合には改まらせねばならんから、ね。また大きな意味合いに言うたら、皆の足並みを揃えさせなければならんからと言う事になるのじゃないでしょうかね。お互いの例えば願いがです、どうでもお繰り合わせを頂きまして信心の上にも、てを「よいおさおさお断りなし」という言葉があるんですけれども、本当に万端の上に心を配らして頂いて。
 ただやあやあ言うてみた所でですたい、どんなにさあ機械力を持っておるからといい、私は実力家だと言うて、さあ天地の事になったらどうにも出来ないでしょうが。まあそげんね、これだけの事をですたい、ただ例えば土盛りの事でもトラック二千台いるという、ダンプカーが二千台お土を持っていかなければ、あそこは埋まらないと言う事。それがたった十日十何日かで12、3日くらいで出来るらしいです。
 本当にお天気が続いたら。そらわけがなかがのと、と言う様な事だけれどもさあどっこいほんならいっちょう、わけなしでやってみりゃあ良かたい、神様はそんなそんなふうに思いよんなさる、言い御座る様な感じが致しますですね。そうでしょうが2日間ダンプカーがあそこには入られないし、山を壊しておる所も2日間は雨が1日雨が降ったら2日間もできないって言うんですから。ね。
 1日雨が降る。ああ2日間休んださあなら今日からはと言うてまた降った。また2日間は出来ん。ね。結局何日かかったっちゃ出来んでしょうが。そこん所をですお互いが、この事のだけの事じゃありませんです、様々な問題の事の中にです、ね、神様の神様にも神様のご都合があるからと言う事。どうでしょうねまあお互いが、ああ4ヶ月の計画ですか、4ヶ月なら4ヶ月でばたばたもうでけた。
 所がこっち側の懐の具合もが悪うしてから、あぁお金が半分しか集まらなかったと。それこそ秋永先生の昨日のお知らせじゃないけど、東さんが頂いちゃある。ほそくそ委員長の秋永先生が腹切らなん事になります。そうでしょうが。だから神様には神様のご都合があっての事だと言う事。だから神様のご都合あっての事だからと言うてです、今のだんだらりぃとした信心じゃ出来んと言う事。
 ある人はお礼を言わにゃならん、ある人は改まらにゃならん。ある人は本気で踏ん切りを付けなきゃいけないと言う事。ね。そしてひとつの調子というか、ね、お互いの足並みが揃うた所に私は、ね、降らねばならん筈の雨も降らんで降らん、神様が天地を自由にして下さる様なおかげにも成って来るだろう。ね。あれやらこれの一切がタイミング良うお繰り合わせ下さる事であろうと私は思うのです。ね。どうぞひとつあのただ神様のご都合、神様のご都合だのと。だけに止どまらず、ね。
 ならどういうご都合かと言う事をです、銘々が違うと言う事。そんなに神様の例えばお湿りならお湿りと言う事になるのはです、ね、人にはこういう言い様な存在をしてこの人にはああ言いよんなさるのである。それぞれに違うと言う事。ね。ただ神様のご都合というだけに、ね、神様も確かに神様の中にその都合があっての事だけれども、まあどういうご都合であるかと言う事はです、十人おれば十人違うと。頂き方が違わなければならないと言う事なんですね。
   おかげを頂かなければなりません。